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A3 

著  者:森達也
出版社:集英社インターナショナル
出版日:2010年11月26日 第1刷発行

あらすじ
松本サリン事件から16年
当時から取材を続ける森達也がオウム真理教を描いたドキュメンタリー


本書に描かれているものは、恐怖だ。
心の中の奥のさらに奥、暗い穴の底に堆積する泥を汲み上げられて、
それを目の前でひっくり返えされた気分になる。

著者の森達也は松本サリン事件を起こしたオウム真理教を描いた
ドキュメンタリー映画「A」「A2」を制作している。
その続編が本書「A3」だ。

松本サリン事件から16年、
裁判は進んだ。
だが、事件の真相はどこへ消えたのだろうか。
あれほど加熱した報道も
今となっては僅かな結果しか伝えない。

本書は「事実に迫る」というスタンスで作られた作品だ。
オウムを必要以上にバッシングしない。
だが「オウム=悪」という図式の中では、
「バッシングしないこと=オウムの肩を持つ」
と思われることがある。
だから、まず断らなければならない。

本書はオウムを擁護するものではない。
それを薦める僕もオウムを擁護したいのではない。

僕は事件とは直接関わりはない。
身近な人で言えば間接的な関わりもない。
メディアの中での話しだ。

ただし社会という接点で関係から逃れられる人はいない。
事件の真相に迫る中で、
事件以前と事件以後で社会がどのように変容したのか、
何故、変容してしまったのかについて本書は語る。

社会全体が誰も気づかない間に
少しづつ泥の中へ沈んで行く様子が記録されている。
それは皆の暗黙の総意の下で行われた。

嫌な気分になる本だ。
だが、気づかないうちに
自分が何を行ってきたのかを
知りたいという気持ちが
この重たい本書を最後まで読み通す動機になった。

著者は「A」「A2」と映画として発表をしてきた。
本書にこう書かれている。
「それほどに『A2』は不入りだった。
 民意に反した映画など誰も観に来ない。
 オウムへの視点など誰も求めていない。
 観客がほとんどいない客席を
 扉の隙間から眺める思いはもうしたくない。
 だからこそ映画版『A3』の撮影を、僕は中途で断念した。
 映像から活字へと仕事の領域をシフトした。
 苦しかった。辛かった。今さら簡単には戻れない。」

森達也は元テレビマンとして、
メディアはそれ自体が持つ性質に、
視聴者が知りたいと思うものを流す傾向がある。
嘘ではないが、真実の一部を切り取って
それを全部であるかのように錯覚させる。
と語っている。

視聴者に情報を取捨選択する能力が必要
ということだ。

それに倣うなら、本書もドキュメンターではあるが、
中立な立場で事件を見ようとする
森達也のバイアスが掛かっている。
そのことを意識して
それぞれに見える真実を考えてみて欲しい。

----この本をより詳しく読むためのキーワード----
⇒森達也 ⇒オウム真理教
⇒松本サリン事件 ⇒地下鉄サリン事件
-------------------------------------------

■森達也の著作

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芸術闘争論の追記 

今回は書評ではありません。

11/11にスタンダードブックストアで行われた
「村上隆の闘争論3」というトークイベントへ行ってきました。

前回の「芸術闘争論」の追記として
イベントの感想を書こう思います。

本の内容をさらに詳しく、
ハイアートにおけるコンテクスト(文脈)の読み方や、
書籍では乗せる事の出来なかった実例を参考にした
作品の構図の解説など、
2時間に渡る芸術の講義でした。

トークイベントの中で印象的だったのは
村上さん(以下敬称略)の話の中で
「マーケティング」「トレンド」「プレイヤー」
という言葉が頻繁に登場したことです。

ハイアートに何故、高額な値段が付くのか。
それは、コンテクスト(文脈)に沿った
制作がなされているからだと村上は言います。

では、そのコンテクストは何か。
具体的に言えば、ピカソのキュビズムであり、
デュシャンの便器、ウォーホールのマリリンモンローです。

ピカソは平面の中に立方体(複数の視点)で絵を書きました。
これはその当時までの平面で絵を書く事を否定して
絵画のコンセプトを先へ進めたことになるわけです。
この積み重ねが文脈です。

このコンテクストの現在を
村上は「トレンド」と表現し、
それを調べることを「マーケティング」
作家を「プレイヤー」と呼んでいるようでした。

最後の質疑応答で
「芸術と商業の境界線は?」という質問に対して
「芸術(ハイアート)=商業」
だと彼は答えました。

この断言を僕は凄いと思いました。
「芸術=純粋」という空気のある日本で
彼が反発をされる理由はここにあるのでしょう。

彼はお金にならない芸術を否定しているわけではありません。
純粋な内面世界から作り出す作品をダメだと言ってもいません。

世界でプロの芸術家として(ハイアートの世界で)活躍するためには
どうすればいいかという話です。

僕がどんなに説明したところで
村上さんの理解度に及ぶべくもないので
内容についてはぜひ一度本を読んで見て下さい。

芸術闘争論 

著  者:村上隆
出版社:幻冬舎
出版日:2010年11月 第1刷発行

あらすじ
前作「芸術企業論」から六年。
新たな経験を元にアップデートされた新村上隆芸術論。


ざっくり言うと前作「芸術企業論」は
「芸術家はどうやって飯を食うのか。」
という内容でした。

本書、「芸術闘争論」は
「芸術家が飯を食うことを
 継続するにはどうすればいいのか。」
という内容です。

芸術とお金の話です。

村上隆は現在の日本の芸術家の
トップランナーであるとともに
名プロデューサーです。

彼のすごいところは、
自身が作家でありながら
セルフプロデュースをする事ができる
能力がある点にあります。

作家は作品を作ることに
全力を尽くします。
作品制作は主観的な作業です。
プロデュースは客観的な作業です。
これを両立させることは
とても難しい。

その彼が今までの実践と経験を元に
現在のアートシーンとアートマーケットについて
何故そのような状況ができたのかという部分から
生き残るためにはどうすればいいのかまで
分かりやすく読者に教えてくれます。

彼の目的は世界のアートシーンへ
日本人アーティストを200人輩出すること。

本書の目的はアーティストの育成にありますが、
良いアーティストを育てるためには
良いマーケットが必要になります。

そのため本書は
「第一章・今日のアート、第二章・鑑賞編、
 第三章・実作編、第四章・未来編」
という構成で前半はアートを理解するための
講義になっています。

アート従事者だけではなく
アートに興味がある人にとっても優しい内容です。

芸術とお金の話を一緒にすると
アレルギーが出る人は多いでしょう。

でも、芸術家も飯を食う。
いい生活をしたいというのは当たり前の欲望です。
いい生活をしたいからいい作品を作る。
僕はそのことをとても真っ当な事だと思っています。

村上隆について色々なイメージがあると思います。
ですが、バイアスを掛けずに彼の言うことを
考えてみて下さい。

村上隆は東京芸術大学における
日本画科初の博士号修得者でありながら
卒業後に飯を食うことができない状況を経験しています。

日本で一番と言われる芸術大学をでていながら
それでもアートで生活することが出来ない状況で
彼は何を感じたのでしょうか。

その経験があるからこその、
彼の芸術対する真摯な態度に
僕は納得してしまいます。

--より面白く読むために事前に知っておくといい芸術家--
⇒村上隆 ⇒アンディ・ウォーホール
⇒マルセル・デュシャン ⇒ドナルド・ジャッド
-----------------------------------------------

■村上隆の著書

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33個めの石 

著  者:森岡正博
出版社:春秋社
出版日:2009年02月17日 第1刷発行

あらすじ
とまどいながら、歩き続ける
現代の哲学者のエッセイ


森岡正博は、哲学者(大阪府立大学教授)である。
本書は彼のエッセイだ。

彼が日々感じたことが
いくつかの大きなテーマごとに
分かりやすく簡潔な文章でまとめられている。

以前マイケル・サンデル
「これからの『正義』について話をしよう」
について欧米らしい感じがすると書いた。
その差異をうまく説明することは出来ないが、
本書はとても日本人くさい。

本書は「これからの『正義』」とは違い
教科書的な内容ではない。
森岡正博の考えたことが書かれているだけで
指示はない。

だが、僕はこちらの方が腑に落ちた。

サンデル「これからの『正義』」
と合わせて読むと面白いだろう。

本書にはいくつかのテーマがあるのだが、
クローンや、ロボットなど
これから人類が身に付ける新たな技術について
否定的な意見ばかりが目立つ。

不可能を可能にしていく人間の進歩だが、
良い面ばかりではなく、悪い面も持ち合わせている。
彼はその悪い面ばかりを
クローズアップしているように思えるのだ。

若者には年寄りの杞憂に感じるかもしれない。

だが、それこそが必要な想像力ではないだろうか。
際限なく進化する技術に対して、
起こりうる事態を想定し、
先に倫理を確立しておくことは重要なことだ。

森岡正博はそれを理解したうえで
哲学者の役割を演じているように思えた。

その証拠に本書の最後は希望の言葉で結ばれている。

僕はファッションの項目については納得できなかった。
当たり前だが彼の言っていることが正解ではない。

これからの現代において、一人ひとりの個人が少しづつ
この哲学者の役割を担うことが大切ではないだろうか。

最後に本書を読むきっかけとなった帯の一文を紹介したい。
「2007年、米国・バージニア工科大学で銃乱射事件が起きた。
 キャンパスには犠牲者を悼む32個の石が置かれたが、
 人知れず石を加えた学生がいた。
 33個めの石。それは自殺した犯人の追悼である。
 石はだれかに持ち去られた。
 学生はふたたび石を置いた。それもまた、持ち去られた。
 すると、別のだれかが新しい石を置いた。
 ――私たちにとっての33個めの石とは?」

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風に舞いあがるビニールシート 

著  者:森絵都
出版社:文藝春秋
出版日:2006年5月 第1刷発行

あらすじ
自分の価値観を守り、
大切なものを守るために懸命に生きる人達の6編


この本を読んだきっかけは
アニメ映画化ということで話題になっている
同著者の「カラフル」を読んだことでした。

「カラフル」は3ページ目で結末が分かってしまった。
それで面白いけど、まずまずだなぁという感想でした。

それから少し森絵都について調べてみたら
児童文学作家なんですね。
「カラフル」は大人も楽しいけれど、
子供に向けて作られたものなんだと、
少し物足りなく感じたのは
自分が大人の視点で世界を見ているからだと思いました。
主人公よりその両親の事情や、
とりまく世界の気持ちを強く感じていたんでしょう。

ただ、援助交際をしてる女の子の
「1日おきに死にたくなるの。」
という言葉が心に残りました。

そこで大人へ向けて書いた本を探してみました。
見つけたのが「風に舞いあがるビニールシート」です。
6編の短編で構成されていて、
どの話も日常をうまく切り取っていて
読者に日常は自分が主人公のドラマだと
暖かい力を与えてくれる話です。

その中でも表題になっている
最後の1編「風に舞いあがるビニールシート」が
深く印象に残りました。

UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)に所属する
男女が主役の恋愛物語ですが、
UNHCRについての森絵都のリサーチ力がものすごいです。
ひとつの物語を作るのにどれだけの労力を費やしたのだろうかと
思わずにはいられませんでした。

他にも仏師の話がありますが、
仏像についてもリサーチもすごいです。

「風に舞いあがるビニールシート」と
タイトルは頼りない感じですが、
揺ぎ無い土台の上に作られた骨太の物語です。
面白くないわけがない。

■カラフル
■森絵都の作品

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